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  • 【番外編】
  • 紋別紀行2011秋

  • 2011.10.12 アキラさんとまこと君

「アキラさんとまこと君 ふたりのオーケストラ」公演翌日、一日一便の紋別~羽田便の時間まで、アキラさん、平原さんとスタッフ一同は、市内を巡ってまいりました。
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朝の紋別港。残念ながら日の出は雲に遮られ見られませんでしたが、8時過ぎには日が差し、晴れてきました!
前日の雨から一転、青空に感謝して、まずは紋別市内をオホーツク海と反対の方向へ、
車窓は広大な大地、木々はもう色づいていました。
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後述します「鴻之舞金山」跡地一帯を、まずは通過し、第一目的地は・・・
紋別市と遠軽町丸瀬布を結ぶ「金八トンネル」の紋別側の橋です。
ジャン!
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「みやがわばし」を納めるアキラさん。「銀色の道」のご縁により命名されたものです。
ここでの記念写真は、アキラさんベストスマイルなのですが、
それは、アキラさんオフィシャルサイトでのupを待ってみましょう・・・。
そして、来た道を戻り「東洋一の鉱山」と言われ、最盛期には1万3千人の人々が住んでいた「鴻之舞金山」(1916~1973年・実質の操業期間は56年間)の跡地へ。
そうです。
ここが、アキラさんのお祖父さんが線路の建設に携わった「鴻紋軌道」のあった場所なのです。
鴻紋軌道は、当時の鴻之舞鉱山元町から現紋別市花園町までの距離28kmの鉄道で、途中駅は14存在していました
鉄道の跡と、「銀色の道」歌碑の前でもパチリ。
鴻之舞金山一帯には、往時、2400人収容の映画館があったそうです(!!)。
「帝国劇場ぐらいだね・・・」
とアキラさん。
その後、昭和48年の閉山で人と建物が消え、今はところどころに建物の基礎らしき跡と
立て札が残るのみで、原野となっていました。
そんな鴻之舞金山の足跡をつぶさに辿ることが出来るのが「紋別・旧上藻別駅逓所」です。
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どうです!この素敵な外観!
鴻之舞金山の交通要所の建造物跡で、現在は郷土資料館として有志の保存会の皆さんにより運営されています。
アキラさん、平原さんと我々スタッフも、保存会の代表、池澤さんの熱心なご案内で、
金山の往時の様子、金採掘、精錬の行程などを教えて頂きました。
館内には、当時の開拓農機具を含めた、鉱山で使用された機械類や生活品が所狭しと展示され「アナログ万歳」なアキラさんの目は輝いておりました!
そしてここには、アキラさんのお祖父さん、登さんの鴻紋軌道での写真が!!
そ、、、そっくりなんです。
アキラさんと。
その写真は、鴻之舞金山と上藻別駅逓保存会のサイトのどこかで見ることが出来ます。

紋別では、町の歴史と海の恵みに触れ、大変思い出深い時間を過ごさせていただきました。
ご案内くださった皆様、ありがとうございました!
紋別市観光協会

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