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特別掲載!対談「宮川彬良力」(いずみホール情報誌より)
来週に迫った、大阪・いずみホールでの「宮川彬良&アンサンブル・ベガ」公演に先駆けて、
いずみホール情報誌「Jupiter」139号巻頭に掲載された、「宮川彬良&響敏也 対談」を、特別掲載!作曲家と作家として、音楽と言葉の可能性を追求する2人の対談は必読です!
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宮川彬良力
宮川彬良&響敏也 対談
和製ポップスで名高い作曲家、故・宮川泰の息子であり、舞台音楽家としてデビューした宮川彬良。約10年続けた大阪フィル・ポップスや劇場音楽、テレビ番組で大活躍。いずみホールにはアンサンブル・ベガと毎年登場。コンビを組む作家の響敏也氏と語り合いました。
父と僕
響:作曲家の息子というのを意識したのはいつ頃から?
彬良:小学校で「ぼくのお父さん」という作文のとき、友達が発表するじゃないですか。「ぼくのお父さんはサラリーマンで5時半に帰ってきます」と、皆同じ(笑)どうして毎日同じ時間に帰ってくるの?うちは全然違うんだなと。テレビで「シャボン玉ホリデー」とか「ザ・ヒットパレード」とか見ていると、お父さんが指揮していてね、いいなあと思っていたし、憧れてましたねえ。
響:作曲家の家庭というのも特殊だけど、お父さんに憧れている息子がいるというのも・・
彬良:ありそうでないですよね。その分苦しみましたけれどね。今でも苦しいですけれど。
響:宮川彬良という人が作曲家になったのは、やはり宮川泰という作曲家がいたからなの?
彬良:もちろん、もちろん。「将来の夢」という作文では「お父さんのような作曲家になる」と書いていました。「編曲もやっていきたい」とか。小学校1年か2年ぐらいですよ。そうするとお母さんが「アラ、あきら、こんなこと書いて」それを聞いて周囲の人達が僕を冷やかすんですよ「あきらくんは、お父さんみたいになるんだよな」「ウン!」「お父さんよりもえらくなるんだよな」「ウン!」わーっと受ける(笑)自然と自分で自分をけしかけちゃって。逃げ場がなくなっていって。
響:だけどそのままお父さんと同じように歌謡曲とかポップスとかは書かずに、劇場の音楽を中心に書き始めた。分野もクラシックまで入ってお父さんと違う道を選んでいる。
彬良:やっぱりあの、憧れというのは裏返すとジェラシーでもありますから。ああいうふうになりたいという気持ちはすごくあったんですよ。ヒットチャートに並ぶような曲を作りたいな、と思わないわけではなかったのだけれど、時代がすーっと変わっちゃった。気がついたら活躍する土壌がなくなっちゃった。歌う人が作曲するようになっていた。桑田佳祐とかユーミンが出てきたとき親父は「すごいのが出てきた」と。時代がそのとき変わったんだよね。もう親父のようにヒット曲は出せない、無理そう、と。
響:では≪マツケンサンバⅡ≫が大ヒットしたとき...どう思った?
彬良:それはね、晴天の霹靂(ルビ へきれき)だったよね。ものすごく嬉しかった。僕は舞台音楽の世界に"逃げて"いたわけですけど。でも確かにあれを作ったときに本当にいい曲だと思ったのです、だからこういうのが売れたらいいな、とちょこっとは思ったのですよね。
響:ヒットしたのが10年以上たってからだからね。
彬良:作ってから10年間松平健さんが歌ってくれていたから。そりゃ嬉しかったですね。でも父は僕と同じぐらい嬉しかったのではないでしょうか。なぜならば、僕は父が入れなかった東京藝大にも頑張って入ったし。「お前、よくここまで来たな」と20才ぐらいの時に褒めてくれたんだけど「あとはヒット曲だな」とぽろっと言うわけさ!そのぽろっというのがね。
響:その後、まさか劇場音楽の世界からヒット曲がでると思っていなかったものね。
彬良:それは自慢でね、本当に音楽と芸の力でヒットしたということを誇りに思うんです。
言葉と音楽
響:劇場にはショウもミュージカルもある。歌が割合を多く占めてくるよね。歌をつくる作曲家の歓びと苦しみって、独特のものがあると思うのだけど。
彬良:舞台音楽の場合は99%詞が先なんですよね。≪マツケンサンバⅡ≫だって詞が先なんですよ。言葉どおりのイントネーションで作曲しています。来場したお客様に即座に印象づけないと意味がないんですよ。言葉は大切。だから音楽家が作家と組むのは自然だと思うんですよね。
響:組むということでは、オペラの作曲家も台本作者と組むんですよね。いま我々二人でオペラを受注して、宮川彬良の第1作(9月に東京で上演)、第2作が用意されているわけだけれど。先人達のオペラに改めて感じることはありますか。
彬良:うーん、なるべく考えないようにしてきたんだよね。じつはあの歌い方は子どもの頃からあまり好きじゃなかったの。でも作ってみて分かるんだよね、なるほどと。ミュージカルはセリフから音になるでしょう?だから音は低いところから始まるんですよ。オペラは全部歌じゃないですか。ですから名曲アリアは高いところから始まる。歌い手は安心して「おノドの調子はどうかな~」(高い声で歌う)。ところが低いところから始まると、歌い手は高音が心配でしょうがないみたいなんですよね。
響:それ、書いてみないとわからないことだよね。セリフも全部レチタティーヴォで歌うイタリア式オペラは「こっからアリアです!」と分からせるために上から出てくることが多いと。確かにそうだ。
古典と伝統
彬良:あと僕と響さんで楽しんでいることだけど、どういう格好のいい曲を作るかには興味がなくて、物事をどういう切り口で、どういう歌い方をするか、そこにドラマを感じるし、そこに魅力を感じるんですよね。
響:自分の体験からいうと、合唱曲でも自分の書いた詞で宮川彬良の曲だと「ああ、俺はそういうつもりで書いてたんだ」と改めて自分の深層心理に出逢う。
彬良:歌詞の裏側というのが原動力なんですよね。この前俳句のお師匠さんにまさにそのことを言われちゃって。認識する力、それが俳句の正体だと。要するに古典です。古典というものの認識を新たにする時代が来ていると僕は思うのです。
響:時間の審査を経てきたものだよね。
彬良:古典の真価が発揮される時代になると思う。古典と伝統は違うでしょ。伝統は受け継いできたもの。古典はその時に固まったものなんだよね。
響:結晶体だと思ったらいいよね。伝統の場合は手垢がついてくる。
彬良:そう、結晶体。しかしそれを読み解かなくてはならない。読み解けば使えるはずですよ。ベートーヴェンのモデルにはバッハやハイドンがあり彼はそれを読み解いて書いた。
響:長いあいだ古典不在の時代が続いたんだよね。見てみないふりをしているという。
彬良:だから古典を壊していく。壊し切っちゃったような感じがある。でも古典のメロディの把握の仕方もまだまだ皆が気がついていないようなものがあると思う。オペラだって読み解かないと。古典というのは常に新しい、これを言いたいね。
芸術と文化
響:クラシックで日本の音楽家のレベルは世界的だと。じゃ一般の人達のなかでクラシックがそこまで浸透しているかといえば疑問です。しかし一流の芸をクラシック未体験の人に聞かせたら、好きにならなくとも、凄いなとは感じる。人間が時間を積み重ねて作ってきた重さ、命の重さが芸術だと。芸術は高級品やアクセサリーではなく、血みどろになってベートーヴェンでもモーツァルトでも書いていたわけで、血みどろの真実が聴こえる。
彬良:音楽って、文化って何、という論議があちこちで巻き起こるべきだと思うのです。
ここ大阪はその問題が分かりやすく現れている。その処理の仕方が大切なんだ。今が大切な時です。そしてカメラの画角を大阪だけではなく日本とかアジアとか地球とかの倍率にしてみると、次が見えてくると思うのです。
(アンサンブル・ベガについて)
彬良:メンバーはロックが好きだったり、ジャズが好きだったり。本当にうまい人ってそうなんですよね。
響:編曲物も原典物も本物志向。名人たちの名演で、これこそクラシック!これこそ編曲!これこそ脚本付きコンサート!という時間を堪能して頂ければ、幸福一直線です。
いずみホール情報誌「Jupiter」139号掲載
作成:いずみホール 森岡めぐみ
* 「宮川彬良&アンサンブル・ベガ」いずみホール公演は、
*5月29日(水)19時開演!
~歌うオペラを 奏でる楽しみ ~聴く歓び
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